「じゃがりこ」開発者が語る始まりの物語
突然ですが、10月23日は「じゃがりこ」の日です。「じゃがりこ」はカルビーが展開するたくさんのスナック菓子のなかでもトップクラスの人気を誇ります。“はじめカリッとあとからサクサク”の独特の食感を備えた食べやすいスティック状のスナック菓子として、長年多くの方に愛されてきました。10月23日は、1995年に「じゃがりこ」の販売が始まった日なのです。
編集部では今回、「じゃがりこ」の日に合わせて、開発者である山崎 裕章さんにお話を伺いました。山崎さんは2021年3月でカルビーを定年退職されていますが、カルビー本社にご来社いただき、直接貴重なお話をお聞きすることができました。
今ではすっかりおなじみの商品になりましたが、実は「じゃがりこ」が発売された当時は、ほかに類のない革新的な商品として世に出されたそうです。「じゃがりこ」の特徴である、心地よい固さもスティック状の形状も、そしてカップ包装も、当時としては大きな挑戦だったとか。新たな挑戦の連続だった開発当初のエピソードや開発にまつわる様々な苦労、「じゃがりこ」といえばの「ダジャレ」が生まれた経緯など、ロングセラー商品「じゃがりこ」の始まりの物語をお届けします。
挑戦と試行錯誤の日々 商品コンセプトはこうして決まった
「じゃがりこ」の開発が始まったのは、カルビーがマーケティングチームを立ちあげ、市場調査にも力を入れ始めた時期でした。1992年、カルビーは5ヵ年の中期経営計画を立案し、いくつかの柱を打ち出します。その中のひとつが「商品の政策/事業の開拓」でした。これを実現するために同年、「じゃがりこ」の開発が始まります。
それまでの商品ありきではなく、お客さんのニーズを満たす開発を目指しました。1992年当時、世の中は女子高生ブーム。女子高生が全世代に与える影響が大きかったことや、商品を大人になってからも長く楽しんでいただきたいと考えて、女子高生をターゲットに決めました。山崎さんら開発陣は、女子高生がスナック菓子に何を求めるか調べた結果をもとに「こんな商品を作ろう!」というコンセプトを作成。商品開発の方向性を定めました。
味についても様々な検討が重ねられ、サラダとチーズの2種類の開発を決定。チーズは開発陣の希望でしたが、サラダは調査から浮かんできたお客様からの要望でした。サラダのスナックに入れ込む素材としては、なじみ深いパセリとニンジン以外に、実はコーンも検討されていたそうです。山崎さんは「コーンを入れたところじゃがいもと同じ黄色だからか全然目立たず、コスト的にも難しかったため結局なしになったんです」と舞台裏を明かします。
導入されたばかりの新技術や市場調査をもとにした商品開発、そして後にたどり着くカップ状の容器。「じゃがりこ」の開発は、様々な意味で従来のカルビーの商品とは異なるやり方で行われました。山崎さんら開発陣に、新たなことに挑戦している意識はあったのでしょうか。
「ただ無我夢中でした。開発に関わったメンバーも若かったし、新しいことを自由にやらせてもらえる環境だったので、いま振り返れば挑戦しやすかったんだと思います」
とはいえ、新しいチャレンジに苦労は付きもの。「じゃがりこ」の開発にもたくさんありました。「じゃがりこ」の特徴である独特の食感には、社内から反対の声も挙がったとか。山崎さんは「カルビー創業者の名誉会長から、『あんなに固い商品は売れない』という意見があったんです。当時の役員のみなさんのお陰で開発を続けられました」と振り返ります。実際に、発売前の試作品を食べた人からは「固い、味がしない」という感想が届いたこともあり、開発陣は自信を失いかけたこともあったそうです。
しかし山崎さんはむしろ、固さはポイントだと考えていました。「当初から不安の声はありましたが、私自身はおせんべいが好きだったので、それほど固いとは思っていませんでした。おせんべいの文化がある日本であれば、受け入れられるはずだと考えていました」と当時を振り返ります。
カップ包装、食感、サイズ…試験販売で重ねた改良
コンビニエンスストア限定で「じゃがりこ」の前身である「じゃがスティック」のテスト販売が始まったのは1994年の2月。わずか14店舗からのスタートでした。「じゃがスティック」の箱型の包装は、新しい売り場の獲得という点でもメリットがあったといいます。
「当時カルビーのお菓子は袋包装のものしかなく、売り場ではカルビーの商品同士が棚の奪い合いをしている状況だったんです。一方で、箱包装のお菓子は一部の人気商品以外あまりありませんでした。箱包装のお菓子の売り場に進出できるような商品が求められていました」
「1994年はとにかくいろいろやった」と山崎さんが回顧するように、「じゃがスティック」として世に出てからも開発陣の試行錯誤は続きます。当時のスティックの長さでは折れやすいことが弱点。そこで、長さを調整し、四角柱だったスティックを円柱状にすることで角の違和感を無くし、食べやすさを実現しました。こうして生まれたのが現在の「じゃがりこ」のかたちです。
スティックの長さの変更をきっかけに、包装も当初の箱型からカップ型に改良します。カップ型の包装には、箱型の包装にはないメリットもありました。中の袋を無くしたことで、1回で簡単に開けることのできる手軽さも強みとなりました。
さらに、世間のF1ブームも好材料でした。カルビーが当時、F1のスポンサーだったこともあり、「車のカップホルダーに入るからカップの包装がいい」との経営側の声もあったそうです。
テスト販売中まったく宣伝をしなかったにも関わらず、「じゃがスティック」は安定して売れ続けました。試行錯誤といくつもの改良を重ね、「じゃがスティック」は「じゃがりこ」にリニューアルします。そして1995年10月23日、新潟エリアで「じゃがりこ」の販売が始まりました。
「すごく好評だったことを覚えています。サラダもチーズも売れ続け、その結果を受けて発売エリアを長野にも広げました。初期はまだ工場の生産ラインが小規模だったので、96年以降発売地域を広げていくことに合わせて、工場ラインを増やしていきました。
市場の高い評価を喜ぶ一方で、新しい生産ラインで機械がうまく動かないなど、生産現場の苦労は続きました。その後順調に売れ続け、2000年前後には、生産も安定してできる状況になりました」
いま明かされる、「食べだしたらキリンがない」誕生秘話
さて、「じゃがりこ」といえば、「食べだしたらキリンがない」という「ダジャレ」でも知られています。このダジャレはサラダなどの容器にもプリントされています。スナック菓子の容器にダジャレを掲載する発想は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
「このダジャレは初期の容器には掲載されていません。お菓子の容器に何らかのキャラクターを載せることが流行っていた時期があり、『じゃがりこ』にも載せようという話になったものの、広告代理店さんからの提案にピンとくるものがなかったんです。ところがたまたまある絵コンテにキリンが載っていて、当時の上司から『仕方がないからこのキリンでも載せておくか』と言われ、私が『(じゃがりこは)食べだしたらキリンがないですからね』と応じたのが始まりです」
そうしてまずは、「ダジャレ」ではなくキリンのキャラクターを「じゃがりこ」の容器にプリントするようになります。そうすると消費者から「なんでキリンがプリントされているのですか?」とたびたび問い合わせが入るように。カルビーのお客様電話対応の担当者は毎回、「食べだしたらキリンがないからです」と恥ずかしそうに山崎さんのダジャレを説明していたそうです。
「当時の役員から『(電話対応の担当者が)みんな恥ずかしそうにしているじゃないか。いっそダジャレも載せればいい』と言われ、『え、載せていいんですか?』と「ダジャレ」も掲載するようになりました」
「じゃがりこ」にはこれ以外にも味ごとに様々なダジャレが載っていますが、山崎さんは「私が考えたダジャレはこれだけです。あとは歴代の担当者が考えたものですよ」と笑みを浮かべます。
「手が汚れにくいこと」を守ることで、技術革新が起こる
販売が始まって30年近く経ち、カルビーを代表する商品となった「じゃがりこ」。山崎さんが「『じゃがりこ』のブランドのため、これだけは守ってほしいこと」として挙げたのが「手が汚れにくいこと」です。
「『じゃがりこ』のスティックには一定量の塩以外は絶対にかけないように決めていました。たとえば『じゃがりこ』の梅味は、じゃがいもに梅を練り込んだ後に揚げるため、完成品は梅の酸味が飛んでしまっていたんです。当時の担当者から『スティックの上に梅味のパウダーをかけたい』と提案されたものの、消費者の手が汚れるからとの理由で許可しませんでした。そこでほんのり梅味という商品名で売り出しましたが、その後どんどん味が改良され梅味らしい酸味が生まれました。お客様が『じゃがりこ』に求める『手が汚れにくいこと』を守りながら試行錯誤することで、開発現場に技術革新が起こるわけです」
サラダとチーズに限らず、様々な味に広がった「じゃがりこ」の歴史は、開発陣の技術革新の連続とも表現できそうです。
ロングセラー商品となった現状を、開発者としてどう受け止めているか尋ねると、「私だけの力ではありません。若い5人くらいのメンバーで開発しましたし、その後に携わった人たちも代々、初心を受け継いでくれたんだと思います。社内環境にも恵まれていて、新しく生まれた商品を営業の方がしっかり売ってくれました。当時5つあった工場の方々も困っていることが同じだったので、皆が一致団結できたことも大きかったです」と振り返ります。「じゃがりこ」ファンに向けても、「いつも食べていただいて本当にありがたく思っています」と感謝の言葉を語ります。
「カルビーの商品では、『かっぱえびせん』がおじいさんなら、『ポテトチップス』がお父さん、『じゃがりこ』は孫のように考えています。私は『かっぱえびせん』の世代なので、『かっぱえびせん』のように、いつでも・どこでも・多くのお客様に長く愛されるスナック菓子を目指していました。こうしてお客様に支持される商品になってよかったと思っています」
最後に、今後の「じゃがりこ」に期待することを問うと、山崎さんは「海外展開です」と応じました。長く時間がかかるものの、最近は少しずつ海外にも「じゃがりこ」が広まっていると感じているそうです。
「最近のテレビ番組の外国人が選ぶ日本のお菓子ランキングで、『じゃがりこ』が上位にランクインしたのを見て、海外の人にも受け入れられつつあるのだなと感じました。海外展開は私が担当している頃には、やりたくても果たせなかったことなので、現役社員の方々に期待したいと思います。これからも消費者としてカルビーを『じゃがりこ』を応援しています」
文:及川 俊
写真:櫛引 亮
編集:瀧澤 彩