“朝食市場”参入で急成長! 今年30周年の「フルグラ®」に込めたこだわりと歩み
今年で発売から30年を迎える「フルグラ®」。1988年にカルビーがシリアル事業に参入し、その3年後の1991年に「フルーツグラノーラ」という名前で登場したこの商品は、それまでスナック菓子をメインにしていたカルビーが、シリアルや朝食という新しい分野を切り開くきっかけとなったものです。
現在では国内のシリアルブランド売上No.1※1の商品として多くのお客様に愛されていますが、決して道のりは順風満帆ではありませんでした。
※1インテージSRI+データ:シリアル2020年8月1日~2021年7月31日 累計販売金額
シリアルという新ジャンルへの挑戦、そして2010年ごろまでの約30億円から2016年の292億円まで、いっきに売上を伸ばしてきた戦略はどんなものだったのでしょうか。
今回は、企画やマーケティングに関わる網干弓子さんと、「フルグラ®」誕生時から開発に携わってきた高阪泰治さんにその歩みを聞きました。
網干 弓子(あぼし ゆみこ)
カルビー株式会社 マーケティング本部 商品3部 部長
1997年入社。清原工場での品質管理、「サッポロポテト」や「さやえんどう」のマーケティング担当などを経て、新ブランドとして「Jagabee」の立ち上げに従事。2012年より「フルグラ®」の担当となり、現在までの約10年間シリアル事業のマーケティングをけん引し、2016年より現職。
高阪 泰治(こうさか やすはる)
カルビー株式会社 研究開発本部 開発3部
1979年入社。スナック商品の開発やポテトチップスのフライヤーオペレーターなどを経て、1989年よりシリアルを製造する清原工場に異動。1990年より現在まで30年以上にわたり、「フルグラ®」の前身である「フルーツグラノーラ」の立ち上げをはじめ、シリアル商品の開発に携わっている。
健康志向がトレンドの中で可能性を感じた「オーツ麦」という原料
1988年、カルビーは今までのスナック菓子とは一線を画す、シリアル商品の販売をスタートしました。この時代、日本でシリアルといえば子どものおやつとして「コーンフレーク」が知られている程度。その中で、スナック菓子からシリアルへと幅を広げた経緯はこんなものでした。
「当時の経営層からの提案がありました。海外のホテルで朝食を取ると、シリアルというものが出てくると。アメリカの方がおいしそうに食べているのを見て、日本でもできないかと考えたんですね」(高阪さん)
アメリカで普及している食べ物にヒントを得て、日本に持ち込む流れはポテトチップスと同じ。また、このころスナック市場の伸びが一つの踊り場にさしかかっていたこともあり、カルビーは「かっぱえびせん」、「ポテトチップス」に次ぐ第3の柱となる商品を開発しようとしていました。
そこで、1980年代半ばからは、"日本人のためのシリアル"を開発すべく、様々な情報収集や製造研究が積み重ね、1988年にシリアル事業への参入を決定。同年8月に2つのタイプのシリアルを中部地区でテスト発売しました。これが「グラノーラ」と「コーンフレーク」です。
1988年に発売した「グラノーラ」と「コーンフレーク」
とりわけ「グラノーラ」は素材を丸ごと使う商品で、その原料として使われていた「オーツ麦」に着目したといいます。
「日本ではあまり知られていませんでしたが、栄養素や食物繊維が豊富な原料でした。戦後の食糧難が終わり、飽食の時代へと移る中で、これからは健康的に食べることへシフトしていくはず。そんな考えから、オーツ麦を中心としたグラノーラの商品開発が始まりました」(網干さん)
原料に着目して商品を作るのも、カルビーの特徴のひとつ。たとえば「かっぱえびせん」の小えびや「ポテトチップス」のじゃがいもは、それぞれの発売当時、捨てられることの多かった未利用資源の活用という発想から生まれました。同様にオーツ麦も、欧米での浸透は高いが、日本ではまだ知られていない貴重な原料でした。
参入から1年後、1989年にシリアルの生産拠点として清原工場(栃木県宇都宮市)が稼働。供給体制、新商品開発の舞台を整えました。そして1991年、「フルーツグラノーラ」が発売になります。
カルビー清原工場
1991年に誕生した「フルーツグラノーラ」
「フルーツグラノーラ」のコンセプトは家族の健康を手軽にサポートすること。当時、女性の社会進出が進む中、毎日朝食を作ることが多い女性の負担を、少しでも軽くできないかと開発がはじまりました。高阪さんは、このときから清原工場で開発メンバーとして参加。当時大切にしていたのは“日本人の味覚に合うシリアルを作ること”だったといいます。
「海外から輸入していたグラノーラは、食感がボソボソしていて食べやすくありませんでした。穀物そのものを食べている感覚というか。そこで、日本人の口に合うグラノーラを作ろうと考えていきました。海外のグラノーラでは使っておらず、日本人になじみの深い米も原料に加え、ザクザクと噛み応えがありながら食感良く、食べやすいようにしました」(高阪さん)
それまでのグラノーラは、生に近い穀物そのものをかたいまま焼き上げる製法でしたが、カルビーでは米など軽い食感の素材を多用したといいます。
ここで、活かされたのは、スナックの開発で培った技術でした。「かっぱえびせん」の“サクサク”、「ポテトチップス」の“パリッ”など、素材をいかしながら、心地よい食感を作り出す技術です。
さらに、商品の大きなポイントとなったのは、グラノーラと一緒に入れたフルーツでした。
「当時、すでに発売していたフルーツのないタイプのグラノーラにお客さまがフルーツを入れて食べたという話が多く、あらかじめフルーツを入れた商品を作れないかと考えたようです」(網干さん)
味と見た目のこだわりが詰まった、フルーツの顔ぶれ
実はこのフルーツ、味だけでなく「見た目」を華やかにするという狙いもあります。初めて海外のグラノーラを見たとき、高阪さんが「お世辞にもおいしそうではなかった」というように、質素な見た目が一般的でした。
「日本では食べ物を目で楽しむ文化があり、懐石料理も食べる前に見て味わうといいますよね。特に、この商品でターゲットにしていた若い女性は、食べ物の見た目にもこだわると思います。いまでこそ、“インスタ映え”などといいますが、もともと日本人は食べ物の見た目も大切にしてきたのです。そこで、彩りを加える意味でもフルーツを入れることに。開発中はグラノーラにフルーツを入れてお皿に盛り付け、おいしそうに見えるかを社員がお客さまの気持ちになって確認していたようです」(網干さん)
そんなこだわりが現れているのが、発売当初から今まで「フルグラ®」に入っている「かぼちゃの種」。あまりなじみのない食べ物かもしれません。高阪さんは「味も良かったのですが、何より“緑”の色合いが貴重だったんですね」といいます。網干さんも、フルーツへのこだわりについて教えてくれます。
現在の「フルグラ®」に使われている素材
「商品に入るフルーツは、色合いや食感、味のバランスにこだわって選び抜いた厳選の顔ぶれです。たとえば食感はサクッとしたものとソフトなものをバランスよく、味わいは甘味酸味のハーモニーを大切にしています。また、大きいものを入れるよりスプーンですくいあげる度にまんべんなく味わえるようにサイズも工夫しています」(網干さん)
こうして1991年に発売されたものの、数年は売上が10億円前後と目標に届かず厳しい状況に。そんな中、フルーツのラインナップも変えていきました。「日本の方に合うフルーツは何かを考えながら、新しいものを取り入れました」と網干さん。なかでも飛躍のきっかけになったのは、1995年のりんご、2002年のいちごを入れたとき。どちらも売上が大きく伸びたといいます。
1995年の「フルーツグラノーラ」
2002年の「フルーツグラノーラ」
このような歩みを経て、「フルーツグラノーラ」の売上は2002年頃に年間30億円に。ただ、そこからまたしばらくは伸び悩む時期となります。
潮目が変わったのは2012年度。この年、前年のほぼ2倍の売上となる63億円を記録すると、2013年度には95億円、2014年度には143億円に。2015年度に200億円の大台を超え、2016年度には292億円まで一気に伸びていきます。
この変化をもたらした背景には、2つの取り組みがありました。1つは、発売20周年の節目となる2011年に行ったブランド名の刷新。「フルーツグラノーラ」から現在の「フルグラ®」に変えたのです。
2011年の「フルグラ®」
「同様の商品が市場に増えたことで、商品名である『フルーツグラノーラ』が一般名称化していきました。そこで、もっとブランドを際立たせる名前に変えた方が良いのではないかと。ちょうどその頃、お客さまも社員も商品を“フルグラ”と呼んでいたので、この愛称をそのままブランド名にしたんです」(網干さん)
売上100億円を目指してシリアルから朝食へのポジションチェンジ
もう1つの取り組みは、2012年に行われた「フルグラ100」プロジェクト。「フルグラ®」の売上100億円を目指す社内プロジェクトでした。発端となったのは、当時の経営陣と多くの社員が、「フルグラ®」はまだまだ成長余地があると感じていたことです。
「2012年当時、日本のシリアル市場は250億円ほど。『フルグラ®』の売上は約30億円と一定のシェアになっていました。ただ、アメリカのシリアル市場と比較して、まだ日本の市場は拡大すると考え、売上100億円という目標を立てた社内プロジェクトがスタートしたんです」(網干さん)
このプロジェクトで行ったのが、ターゲット像の変更です。これまでは、普段朝食を食べていない方、おもに若い女性が朝食に食べる形を想定していました。しかし、それでは市場の拡大に限りがあります。
「普段から朝食を食べている方は約9割に上っています。その方たちが『フルグラ®』を朝食べるにはどうすればよいのかと。朝食メニューの決定権を握っているのは、多くの場合、家庭の主婦の方。そこでターゲットを主婦の方に転換し、『フルグラ®』を朝食に選んでいただく方法を考えました」(網干さん)
手始めにシリアルについてのイメージ調査を行うと、シリアルは「お子さま向けの甘い食べ物」もしくは「健康的だけど、味は劣る食べ物」という両極端な印象を持つ方が多かったとのこと。そのイメージは、家族の朝食として提案する際の妨げになります。
「『フルグラ®』は2つのイメージの中間にあるもの、つまりおいしくて健康的な食べ物だと伝える必要がありました。発売から20年で健康とおいしさを両立してきましたし、お客さまや社内の評価にも現れていました。ですから、商品の味はそのままに、イメージや認知を変える方向で主婦の方にアプローチしたんです」(網干さん)
ここで選んだ戦略は、地道なものでした。主食を「フルグラ®」に替えてと押しつけるのではなく、朝食の仲間に加えてもらう『お友達作戦』を実施。この頃、ヨーグルト市場が伸び、朝食に取り入れる方が増えていた点に着目。フルーツやジャムなどを足して食べる方も多かったことから、「フルグラ®」を一緒に食べることを提案しました。ザクザクしたその食感は「ヨーグルトにマッチすると思いました」と網干さん。店頭での試食やサンプリングなどを全国で行ったといいます。
ヨーグルトと「フルグラ®」を交互に入れる「噛むヨーグルト」
「お友達作戦」の実施風景
「朝食屋台村」と題して、「フルグラ®」をサンプリング
そのほか、グラノーラ自体の良さも訴求。栄養価が高く、いろいろな料理に使える点を打ち出し、レシピ本を出版しました。テレビCMなどは打たず、少しずつ認知をつかんでいったのです。
カルビーの歴史でも珍しい、3年連続のライン増設
こうした活動が実り、2012年から売上が伸びていきました。高阪さんをはじめ、清原工場で「フルグラ®」を製造していた人たちも、この急激な変化を強く実感したといいます。
「2012年頃から欠品が続く事態になり、急ピッチで清原工場の生産ラインを拡大しました。2014年から3年連続でラインを増設したんです。待っているお客さまのために早く生産量を増やしたい。でも、カルビーとして品質が一定にならなければ出せない。工場メンバー総動員で増設に関わる日々が3年ほど続きました」(高阪さん)
カルビーの歴史の中でも、3年連続でラインを増設したケースはほとんどないといいます。よりよい製造体制を作るために、ラインには最新の設備が導入されるため、厳密にはラインごと設備が異なります。その中で出来上がりが均一になるよう調整しなければなりません。網干さんも「工場の方には、粉まみれになりながら毎日頑張っていただいた思い出があります」と振り返ります。
「フルグラ®」の製造工程
そんな歴史を経て、「フルグラ®」は今年30周年を迎えました。いまや関連商品も多数発売されており、健康ニーズを意識した「フルグラ® 糖質オフ」や持ち運びできる「フルグラ® ビッツ」など時代やお客様の需要に合わせて進化しています。
「フルグラ®」パッケージの主な変遷
「フルグラ® 糖質オフ」
「フルグラ®ビッツ」
長い歴史を振り返りつつ、マーケティング・企画に携わる網干さんは、「フルグラ®」を起点にこんな未来を描いています。
「原料であるオーツ麦は、おいしさと健康の両方を実現できるもの。カルビーの『自然の恵みを大切に活かし 人々の健やかなくらしに貢献する』という企業理念を再現できる可能性を秘めていると思います。『フルグラ®』をはじめ、いろいろな形でオーツ麦の良さや食べ方を提案していけたらいいですね」
「フルグラ®」の30周年中期戦略発表会で発表する網干さん
今年で30周年を迎えた「フルグラ®」
誕生の瞬間から関わってきた高阪さんは「正直なところ、ここまでヒットするとは思いませんでした」と本音を言います。そして30年以上前、輸入したシリアル商品を販売した頃を思い出し、こんな希望を口にします。
「カルビーには『フルグラ®』をはじめ、海外から日本に持ち込んでヒットした商品があります。今度は逆に、日本で定着した商品を海外に広められたらいいですね。『フルグラ®』も、日本版シリアルとしていろいろな国に広がっていけばうれしいです」
未開拓のシリアル市場への参入。そして、発売20年後に行ったシリアル市場から朝食市場への転換。30周年を迎えたこの商品には、たくさんの人たちの試行錯誤が詰まっています。そしてこれからも、よりおいしく、健康的な食を提供するために、カルビーの努力は続きます。