小さな研究所から生まれた「じゃがポックル」
今年20周年を迎えた「じゃがポックル」。北海道土産として手にした方も多いのではないでしょうか。
そんな「じゃがポックル」は、東京の小さな研究所で生まれました。その名も“駒込食品研究所”。創業者・松尾孝さんの想いを実現するためにつくられた場所でした。ここで松尾孝さんは“フレンチフライのようなスナック菓子”の開発を目指します。
今回は「じゃがポックル」の発売20周年を記念して、駒込食品研究所で勤務していた幸本さんと発売時の開発担当の山下さんにお話を伺いました。今まで明かされなかった研究所のこと、そこで誕生した「じゃがポックル」の開発秘話をご紹介します。
駒込食品研究所の誕生
1995年、カルビーは「じゃがりこ」を発売。独自の“カリッサクサク”とした固さのある感が人気を博しました。しかし「じゃがりこ」の展開を決めた時、創業者・松尾孝さん(当時名誉会長)は反対していたのです。松尾孝さんには、「スナック菓子はサクサクやわらかで、口どけが良いもの」という信念があったからでした。
当時社長を務めていた松尾雅彦さんは、「じゃがりこ」に対し、松尾孝さんが路線変更を求めることを避けたいと思っていました。1999年6月、松尾孝さんによる自由な研究を可能にすべく、東京都豊島区駒込にカルビーの小さな研究所が設立されます。「じゃがポックル」の原型がつくられた“駒込食品研究所”です。
幸本薫さんは駒込食品研究所のメンバーのひとりで、松尾孝さんの“最後の弟子”と言われている存在です。松尾孝さんの指示のもと、ポテトフレークを原料とした「ポテッタ」「ベジッタ」という商品の開発にあたっていました。幸本さんは、研究所の様子をこう振り返ります。
「駒込食品研究所は松尾孝さんのご自宅から歩いてすぐのところにありました。雑居ビルの1階にあって、町の床屋さんくらいの小さなスペースでした。そこに2-3人くらいが出入りして作業していました。松尾孝さんは当時80歳を超えていましたが、、商品開発への情熱は並々ならぬもの。スナック菓子に繋がるアイデアを常に収集していました。私たちは、それらのアイデアをもとに実験を繰り返し、試作品をご自宅に持っていったんです」
駒込食品研究所は、まさに松尾孝さんスナック菓子への想いを実現するための研究所だったのです。
創業者・松尾孝の熱意
幸本さんに松尾孝さんの印象深いエピソードを語っていただきました。
「松尾孝さんはとにかくスピード感がすごい人でした。また、製造現場のことをいつも気にかけていましたね。
昼夜関係なく、工場の様子が気になると電話をかけていたようです。工場の幹部に電話をかけると『うまくいっています』としか言わないですから、現場のオペレーターに直接電話をつなぎ、『最近のポテトチップスのカラーはどんな感じですかね?』と聞くんです。オペレーターが『最近はちょっと…』と答えようものならもう大変。松尾さんから改善の指示が出て、幹部たちが飛び回ることになりました。
そのくらい日々の品質に対するこだわりがものすごかったです」
「じゃがポックル」誕生秘話
幸本さんが担当していた「ポテッタ」「ベジッタ」と同時に開発が進んでいたのが、「じゃがポックル」や「Jagabee」の原型となるポテトスナックでした。駒込食品研究所で、理想のスナックづくりが進められたのです。じゃがいもをマッシュ状にしてつくる「じゃがりこ」に対し、こちらはじゃがいもまるごとを皮付きで短冊状にカットしてフライすることで“フレンチフライのようなスナック菓子”を目指しました。駒込食品研究所の小さな鍋(テストフライヤー)で試作が繰り返され、1998年に最初にできあがったのが「ナチュラルポテト」です。この「ナチュラルポテト」を2000年から担当したのが山下哲男さんです。
2000年当時、「ナチュラルポテト」は本格的な全国展開に向けて「じゃがりこ」と同じ連続フライヤー※1で生産をしていました。しかし生産には課題があったといいます
「当時の『ナチュラルポテト』は折れやすく、工場から何とかしてほしいという声が上がっていました。またテストフライヤーで生産したものに比べ食感が劣っていました。試作品の方がサクサクしてふっくらしていたため、フライヤーによってなにが違うのか解析、改良することになりました」
改良のため「ナチュラルポテト」は一度生産を中止することになります。これと同時期、当時の社長、松尾雅彦さんから「ナチュラルポテト」を北海道の銘菓にせよと指示が出されるのでした。
これを受けて千歳の工場にテスト機器が配備され、山下さんの実験の日々が始まります。
「日曜の夜に千歳工場(現:北海道工場)に入り金曜の最終便で帰京する生活を半年間欠かさず続けました。当時『ナチュラルポテト』は連続フライヤーで作っていましたが、1本が太いので中までしっかりフライしようとすると外側が焦げてしまうんです。そこでバッチ式フライヤー※2を導入して品質を作りこみました。手作業で何度も実験を繰り返しました。」
こうして山下さんはついに理想のポテトスナックにたどり着きます。これが現在の「じゃがポックル」です。
※1 一定速度で連続的に操作する運転方式。大量生産に適している。
※2 装置内の内容物を毎回全て入れ替える運転方式。フライごとに手作業が発生する。
「じゃがポックル」のマーケティング
最初に北海道土産として発売したのが2002年発売の「ピュアじゃが」。パッケージはランチボックス風で、じゃがいも型のプラスチックカップが4つ入ったものでした。
満を持して発売した「ピュアじゃが」でしたが、あまり売れなかったといいます。パッケージが大きく、携帯に不便であることがひとつの理由でした。「ピュアじゃが」をお土産に買った修学旅行生は、かさばる外箱を捨ててプラスチックカップだけを持ち帰っていました。
そこで翌年、「ピュアじゃが」は「じゃがポックル」に姿を変えて再出発します。商品名はアイヌの伝承に登場する小人「コロポックル」にちなんで名づけられました。パッケージに薄い平箱を採用し、かばんに入れて持ち運びやすい仕様に変更。中身は小袋8袋をワンセットとして、お土産として配りやすいように工夫しました。
「『じゃがポックル』のおいしさには自信がありました。そこで飛行機のCAさんが宿泊するホテルに商品を提供。実際に食べてもらい、口コミで広がっていきました。また新千歳空港の売店でも試食を行いました。」
こうした地道な取り組みが実り、「じゃがポックル」は北海道のお土産として人気が広がりました。山下さんの当時の心境をこう語ります。
「空港で自分が買おうとしたら売り切れだったこともありました。お客様がたくさん買ってくださる様子を見て信じられなかったです。今でもお客様が商品を手にしている場面に出会うと、心の中で『ありがとうございます』と思っています」
小さな研究所で生まれた「じゃがポックル」。今日も北海道工場で一つひとつ丁寧につくられ、お客様のもとにお届けしています。
創業者や開発者の想いが詰まった味わいを旅の思い出とともに楽しんでみてはいかがでしょうか。
文:瀧澤 彩
写真:櫛引 亮、町田 有希