30年変わらない「堅あげポテト」の堅さはどう決まったのか?!生みの親とブランドマネジャーが語る誕生までの道のり
本日11月8日は「堅あげポテト」の誕生日です。
1993年のこの日に、北海道限定で発売されました。
紺色のパッケージと墨文字でつくる和の世界観。噛むほどにじゃがいもの風味が楽しめる堅い食感で、いまではカルビー商品の中でも屈指の人気を誇ります。一方で、実は全国展開まで12年もかかった大器晩成型の商品でもあります。
熱狂的なファンも多く、THE CALBEE編集部のアンケートでは“「堅あげポテト」の誕生エピソードを知りたい”といった要望をいただきました。
そこで、発売30年目を記念し、「堅あげポテト」の生みの親である遠藤英三郎さんと現ブランドマネジャーの山本千夏さんが対談。開発当時の苦労やブランドの在り方を語りました。
大人向けのポテトチップスづくりがきっかけ
山本:「堅あげポテト」は発売30年目を迎えます。本日はこの節目を機に、改めて遠藤さんに当時のお話を聞きたいと思っています。私自身はブランドマネジャーとして知っていることもありますが、インタビュアーとして質問させていただきます。まずは、「堅あげポテト」をつくることになったきっかけを教えてください。
遠藤:カルビーは1975年にポテトチップスを初めて発売して以来、高校生や大学生をメインターゲットに商品を展開してきました。ただ、人口の推移をみれば、今後は中高年のボリュームが増えていくことは明らかでした。そこで当時の経営陣が大人向けのポテトチップスをつくろうと考えたんです。
山本:堅い食感のポテトチップスが大人に受け入れられると考えたのでしょうか。
遠藤:おつまみにより適していると予想したんです。「堅あげポテト」のような堅い食感のポテトチップスは、日本ではあまりなじみがありませんでしたが、欧米では「ケトルチップ」と呼ばれて人気を集めていました。1800年代にアメリカではじめて販売されたとされるポテトチップスもこのタイプで、“ポテトチップスの元祖”ともいえます。
山本:どうして日本でなじみがなかったのでしょうか。
遠藤:生産効率があまり良くなかったからだと思います。堅い食感のポテトチップスは、手作業でつくっていました。一方で、現在の「ポテトチップス うすしお味」のような一般的なポテトチップスは、工場で大量生産が可能です。そこで、カルビーなど日本のメーカーは、大量生産ができる方を取り入れたんです。
そんな中、ある機械メーカーが、ずっと手作業だった堅い食感のポテトチップスづくりを自動化できるフライヤー(ポテトチップスを揚げる機械)を開発しました。カルビーがその機械を購入し、当時入社9年目だった私が開発を担当することになりました。1992年のことでした。
山本:担当になって、まず何をしたのでしょうか。
遠藤:堅い食感のポテトチップスをつくっていたアメリカやイギリスのメーカーに、話を聞きに行きました。様々な製造ラインの視察ができて、参考になりましたね。
ただ、どのメーカーも苦労していました。生産効率が低いので、いかに生産量を増やして均一で高品質なものをつくっていくのか、頭を悩ませていたんです。だからこそ、手掛けていたのは地域に根差した小さなメーカーばかりでした。
山本:大手メーカーは手を出していなかったと。
遠藤:そうだと思います。話を聞いていて印象深かったのは、メーカーの方々が「大きな会社は色がきれいなポテトチップスを大量につくっているけど、我々は本当に芋の味がするポテトチップスをつくっているんだ」と得意そうに話していたことです。
山本:「堅あげポテト」のコンセプトにもつながる話ですね。通常のポテトチップスと「堅あげポテト」のような堅い食感のポテトチップスは具体的に工程のどこが違うのでしょうか。
遠藤:まず、原料じゃがいもの前処理に違いがあります。通常のポテトチップスは、じゃがいもを切った後に水で洗って表面のデンプンを落とします。中の糖を出すことで、焦げにくくするんです。
フライヤーも異なります。通常のポテトチップスでは、油のプールをくぐって出ていくような、短時間で大量生産可能なものを使います。
一方で「堅あげポテト」は、スライスしたじゃがいもをひと釜ごとに投入し、じっくり丁寧に揚げる“釜揚げ製法”です。通常のポテトチップスに比べて低温で長時間フライすることで、堅さが増すんです。
目指したのは日本人の琴線に触れる堅さ
山本:だから結果的に少ない量しかできないということですね。開発の際、堅さは何か目標値があったのでしょうか。
遠藤:自分たちで目標の堅さを決めました。最初、海外の商品を十種類ぐらい買ってきて、開発やマーケティングのみんなで食べあさりました(笑)。社内でアンケートをとったり、どの堅さが良いのか検討したりもしましたね。
技術的には、どんな堅さも実現できましたが、堅すぎると好みが偏り過ぎて間口が狭くなるし、中途半端だとモサモサした食感でつまらない。だから、自分で食べて、日本人の琴線に触れる堅さを目指しました。ある程度、自分たちの感性を信じてやりましたね。
山本:そのときの堅さの基準は、変わらず受け継がれているのでしょうか。
遠藤:基本的に変わっていないと思います。
山本:30年間、変わらず同じ品質を目標にし続けているのですね。
遠藤:ただ、堅さを数値化するのは難しくて。チップスを割る時の力や、チップスをボールに入れて回したときの音などで数値化を試みましたが、うまくいかなかった。そこで、オペレーションをしっかり決めることで均一の堅さを実現しました。
山本:環境やつくり方を定めたということですね。そんな苦労があって開発開始から1年半ほど たった1993年11月8日に、市場で受け入れられるかを確認するため、まずは北海道限定で発売したんですね。
遠藤:北海道で発売したところ、堅い歯ごたえが一部のお客様から熱烈な支持を受けました。それで時間がかかっても開発していく価値があると手ごたえを感じたんです。
山本:最初は苦労も多かったと聞いています。
遠藤:そうなんです。特に、北海道工場に据え付けた最初のフライヤーはとにかく扱いづらくて苦労しました。このフライヤーの改善点を表にまとめて、機械メーカーに持ち込んで改善できるかできないかを逐一確認していきました。
山本:北海道工場のあと、「堅あげポテト」の人気が高まるにつれて、生産工場も増えて、販売エリアも拡大していったと思うんですけど、その都度、改善点を新しいフライヤーに反映していったということですね。
遠藤:生産システムの構築や製法に適したじゃがいもの調達など課題を解決しながら、少しずつ販売エリアを増やして全国展開まで12年かかりました。新しいフライヤーに一つ一つ丁寧に改良を加えたことが、結果的に現在の安定的な品質につながったと思います。機械メーカーも、私たちの改善を標準機に取り入れたことで、世界中の堅いポテトチップスの品質が高まったのではないかと考えています。
試行錯誤の末に定まった商品名とブランドの方向性
山本:マーケティングの話も聞かせてください。「堅あげポテト」はブランドの方向性を確定するのに難しい時期があったと聞いています。
遠藤:堅さが特徴なので「堅あげポテト」の商品名は、すぐに出てきました。ただ、当時の経営陣から“堅いから堅あげで良いのか?直接的なものではなく、もっと愛着がわくような名前の方が良いのでは”との意見がありました。そこで、様々な名前にトライした時期もありました。
山本:「じゃがスティック」が「じゃがりこ」に名前を変えてヒットした例もありましたからね。どんな候補があったのでしょうか。
遠藤: ブランドスイッチを狙った「いちばんじゃが」や低油分を全面に打ち出した「堅あげチップス」、辛い味の「じゃが王」など、それぞれテスト販売しましたが、なかなか思うような結果にならなかった。
結局、お客様に支持いただいたのは「堅あげポテト」だったということです。それで、社内理解も徐々に得られて、改めて「堅あげポテト」でいこうと決めたんです。堅さをとことん強調した世界観、トーン&マナーでいくことに自信が持てました。1998年からは「堅」を大きく墨文字で記載した現在のパッケージに近いものに変え、それ以降は一貫して堅さを訴求しています。
山本:いまでは「堅あげポテト」以外ないなと思いますが、多くの商品名候補があったんですね。その後、商品認知を高めていくと思うのですが、印象深い施策はありますか。
遠藤:うまくいかなかった施策として、ダジャレによせたTVCMがありました。出演したおじさんグループが肩をあげて、“かたあげー!”と叫ぶものです。話題化を狙ったんですが、「堅あげポテト」が目指している世界観と遠かったと思います。
山本:なるほど(笑)。そういう経験もあって、いまの「堅あげポテト」ができあがっているんですね。
山本:現在も使われているキャッチコピーの“噛むほど、うまい”が生まれたきっかけも教えてください。
遠藤:「堅あげポテト」の発売以降、食べた感想として「噛むほどに旨い」という言葉が、お客様や関係者の間であったんです。それをブラッシュアップして、1998年からはパッケージにも記載しています。ブランドの核になるところなので、食べていただいた方の実体験を大切にしました。
商品が有名になると、いろんな意見が届くようになります。そこで気をつけなきゃいけないのは、このキャッチコピーやプライマリーベネフィット※に対し、そういった意見が正しいかどうかを考えることです。これがブランド担当の使命だと思います。ブランドを守る、つくり上げるために、強い意志が大事だと思います。
製造技術を受け継ぎ、伝統的な和のイメージを訴求していく
山本:肝に銘じます。遠藤さんは、「堅あげポテト」の販売拡大フェーズで、長年「うすしお味」に絞り販売してきたと聞きました。何かこだわりがあったのでしょうか。
遠藤:実は発売当時、営業から「うすしお味」のほかにもう1フレーバー発売してほしいと要望がありました。そこで1994年に「ビーフバーベキュー」を出しました。でも、これが売れなかった。翌1995年には代わりに「サワー&オニオン」を出したんですが、これも売れない。そこで気が付いたんです。
「堅あげポテト」そのものの認知がないまま、新しい味を出しても、単なる味の評価でしかないので、売れないと。そこで、認知が上がるまでは「うすしお味」一本でいくことにしたんです。それから1999年の「ブラックペッパー」発売までは「うすしお味」のみでした。
山本:一品で、何年も耐えるのは、難しいと思うんですが。どうやって続けたんでしょうか。
遠藤:とにかくブランドを守ることに対して強気でしたね。「本当にブランドを大事にして、付加価値を認めていただけるお店にだけ置いてください」と言い続けていました。そうすると、売上は上がらないので結構辛かったんですが(笑)。
山本:それを12年も続けて、全国展開に至ったんですね。いまではサイズやフレーバーの違いのほか、「堅あげポテト」の製法をベースに、最も堅い「クランチポテト」や最も薄い「シンポテト」など新しいブランドも生まれています。
遠藤:私からも質問させてください。今後、「堅あげポテト」はどういう方向に向かっていくのか、ぜひ聞きたいです。
山本:「堅あげポテト」のブランド価値をつくっているのは、製造技術です。それを守り続けてきたことが、現在までお客様に愛されている理由だと思います。
ただ、“製造技術”をストレートにお伝えするのは難しいので、伝統的な釜揚げ製法と、和風のパッケージから、伝統的な和のイメージの醸成を図っています。例えば、テレビCMでは「ニッポンには堅あげポテトがある」というメッセージで、和風なイメージとともに「堅あげポテト」が唯一無二の特長を持った商品であることを訴求しており、今後もこの方向で進めていく予定です。遠藤さんからも、これからの「堅あげポテト」に期待していることを教えていただきたいです。
遠藤:私は、お客様にとって「堅あげポテト」が変わらないものであってほしいなと思っています。なかなか同じことをやり続けるのがつらい時もあると思うんですが、やる方にこだわりがなきゃいけない。
お客様は生活の中で、いろんな情報に触れていて「堅あげポテト」に触れるタイミングは一瞬です。その一瞬にいつもと変わらないおいしさを提供するため、同じことをやり続けることが大事だと思うんです。
山本:30年続く製造技術を受け継ぎ、「堅あげポテト」の良さを、ブレずにいろんな方法でお客様にお伝えできるように知恵を絞ろうと思います。本日はありがとうございました。
文、写真:櫛引 亮
対談のダイジェスト動画は下記よりご覧ください。